2011/05/06

トペンにバビグリン

ガムランの音がハイテンションに鳴る中、ジマ氏が一歩前に出て身体全体を動かすと、何か不思議な力が満ちて、辺りがピンと張りつめたような気がした。つま先立ちで身体を硬直させたかと思うと、次の瞬間、ぐにゃっと変化して指先が痙攣する。間近で見ているとジマ氏から強いエネルギーがわき出てくるようで、観客もいったい何が起こるのかと凝視する。すると、軽やかに観客の期待を裏切り、何事もなかったかのような表情でスタスタと歩き出すのだ。


ジマ氏の素顔はトペンと同じぐらい魅力的だ。いつも満面笑顔、いや身体全体が笑顔というような、むちゃくちゃ明るい表情は力強く、彼がそこにいるだけで周りは魅了されてしまう。相貌を笑顔でくちゃくちゃにしたジマ氏に語りかけられると、人間の距離感はこんなに近くなるのだと感心させられる。ようするに、四六時中、常にダンスしているのがジマ氏なのだ。ニョマン・サウリ氏との道化コンビも抜群のおかしみで、即興の台詞が炸裂すると周りで見ている者達は笑い転げる。こうやって新しい家に生きている者(物)のエネルギーを入れるのが今日の儀式なのだ、というのがよくわかる。


最後はリクエストしたカエル踊りだ。わが家をUMAH KATAK(バリ語でカエルのお家)と名付けたので、ジマ氏にカエルの踊りを是非と、頼んだのだ。わが家は田んぼの風景の中にあってカエルがそこいら中にいるから「ウマ・カタッ」だ。わたしの申し出に二つ返事で引き受けてくれたジマ氏に感謝。いよいよカエルダンサーがピョンピョン跳ねながら観客に一緒に踊ろうと誘いかけると、なんと、日本から駆けつけたS君がそれに応えて踊り出した。両足を大きく広げて思いきり高くジャンプしたS君が大喝采を浴びたのは、もちろんだ。それ以来、S君は、ダンスの才能があるよと、しきりにバリ舞踊の稽古をすすめられることになる。


セレモニーの主役は芸能だけじゃない。バビグリン(豚の丸焼き)もみんなが待ち構えているご馳走だ。腹の中にスパイスの効いた香草を詰めてきつね色に焼き上げた豚の丸焼きは、表面の皮がカリカリ、その下はこってりした脂身で、口に入れると何とも言えなく美味い。口から尻まで棒で串刺しにして焼き上がった豚を、そのまま二人の男が棒の両端をヨイサヨイサと担いで持ってきた。大きな皿の上で棒を抜き取ると、怒ったような姿の豚が大皿の上に鎮座する。カンプンカフェのオーナー、マディがテキパキと豚の耳の先っぽと足のあたりの肉を切り取ると、神様にお初をお供えをするのだという。なるほど。でも、これは特別の事じゃなく、バリの人は毎日食べ物や花を小さなカゴや葉っぱにのせて家の端々にお供えするのが当たり前。一番のご馳走の時は、もちろんお供えは最優先にきまってる。

2011/05/05

お披露目儀式の日


儀式当日の朝は快晴!
朝から庭ではガムラングループが演奏を続けている。村のサディアさんがリーダーだ。ティルタサリのメンバーだったサディアさんは日本ではめったにお目にかかれないような笑顔をたたえた人。今日は特別うれしそうにパタパタと太鼓をたたいている。いつもの朝とは違う高揚感の中、昨日テラスの端に準備してあった銀色の料理ケースに、村の人たちが次々料理を盛りつけていく。高坏の上には餅米や黒糖、椰子などを練り込んで作った菓子が数種、隣にはマンゴスチン、サラックなどの果物が高くのせられ、果物がたわわに実るバリを象徴? さすが儀式に慣れたバリ人の手業、手慣れたものだ。最後に色とりどりの花弁を随所に盛りつけ、あとは客を待つばかり。


ここまでの準備は、スバトゥ村のバンジャールの協力はもちろん、僧侶から料理、芸能、闘鶏、そしてクトゥット氏という花のコーディネーターの手配まで、ほぼすべてと言っていいくらい、地主のニョマンさんの采配によるものだ。わたしたちのしたことは、さてどうしようとおろおろして、彼の提案にうなずいただけかもしれない。わたしたちがこの朝の手際よい進行を見てほっとしたのは言うまでもない。

しばらくすると三々五々人が訪れてきた。

ところで、私たちは一応こちらの流儀に従って、正装をする。女は腰にバティックのサロンを巻き、上着は身体にぴったりしてレースがふんだんに施されたブラウス。コルセットで体型を整えた上で着用するのだが、暑い中この装束で過ごすのには気力が必要だ。男も同様、ニョマンさんが僕のを貸すよ、と持ってきた上着は黒い学生服のような詰め襟の長袖だから、半袖シャツ一枚で過ごしてきた身にはかなりのガマンが必要である。しかし、同じ条件下でもお祭り三昧のバリ人は何食わぬ顔つきで飛び回っているのだから、その忍耐力には驚かされる。サロンの着方が分からない日本からのお客には、なんと隣村の王様が着付けをしてくれた。最後に頭に鉢巻のように巻く布も見事な形に出来上がり、王様の手助けで仕上がったにわかバリ人は、嬉々として料理をほうばり客同士の歓談に情熱を傾ける。

庭の真ん中あたり、芝生の上には僧侶が読経をあげる小さな高床の小屋が建てられ、僧侶が来るのを待つばかりだ。日常の光景とは大きく異なった庭の中でも私が最も気に入ったのは、村人のお供え物が所狭しと並べられたパーゴラだ。黄色の花が咲くパーゴラにはよく見ると大きく実った青い果物がいくつも垂れ下がっており、その下のベンチを台座にして様々な盛りつけのお供えが重なりあっている。けっして豪華ではないが可愛らしく、自然へのオファリングとしてこれほどふさわしいものはないのではないか。


儀式のハイライトはトペンという仮面舞踊だ。グン・バグースの強い勧めで、バトゥアン村からジマ氏が来てくれた。ジマ氏と一緒に踊るのはスバトゥ村のニョマン・サウリ氏。人間国宝級名手らしい彼らは、朝早くから庭の片隅で準備を進めていたが、太陽がほぼ頭上に上がった頃、にわかに仮面を取り出し顔につけたかと思うと、ガムラン楽団の音色が勢いを増し、弾み出した。


2011/05/04

バリ島に家を造る

バリ島に家を造った。35年前、始めてバリに来て以来、あれこれ土地を探したり、どんな家がいいかと外国人の家の見学ばかりしていたが、とうとう場所を見つけた。グン・バグースが教えてくれたのは、ウブド北部のライステラスが広がる地区、テガララン、スバトゥ。

バグースに案内されてスバトゥに来てみると、24アールの広々した土地と景色の美しさ、風のさわやかさ、そしてなによりも水の豊富さに惚れ込み、そのまま契約へ。最初から高台に小さなバリ様式の家が建っていて、シンプルかつ快適そうな暮らしがイメージできたことも決断を後押しした。しかし、1年経ち、3回目に訪れたとき、マデ・ウィジィアというかなり風変わりなオーストラリア人建築家と出会ったことで、家を大幅に改築することになったのだ。小さな家が、長いテラスのある大きな家になったというわけだ。
もう家はほとんど完成しているが、細部はまだ。

明日は家のお披露目儀式。

1週間前から、地主のニョマンさんがそわそわし始め、準備を進めている。儀式の主催になるわけだが、いったいどうやったらいいのか分からないので、ほぼ彼にお任せだ。だいたいバリでは、道ばたで村の儀式に出くわすのは日常茶飯事だが、それが結婚式なのか葬式なのか、はたまた成人式なのか、寺の記念日なのか、まったく分からない。そんな外国人が、細かいしきたりや慣習に則って儀式を執り行うことの難しさを想像して欲しい。

と、大見得を切ってウブドに出かけ、さんざん飲み食いをした後、夜半、家に車で戻ってみると、間に合わせにしては見事なデコレーションに、わが家は飾り立てられていた。南国の大ぶりな花が随所に飾られ、ブッフェ式の銀色の食器セットや客用の白い豪奢な椅子20脚ほどがテラスに一列に並んでいた。